2012/03/11

3月11日

生きていれば時は自然に過ぎてゆくものですが、この一年はとくに早く感じました。

一年前の今日、一番面倒な仕事が一段落した直後、平穏な金曜日の午後にリビングで仕事の後始末、メールのやりとりやちょっとした画像処理をしていました。

とりあえず入稿すれば気が緩む。仕事中とはいえ、静かで気持ちも穏やかな午後だったのを覚えている。3時過ぎればマンションの中庭で子供達が遊ぶ声が聞こえてくるのだけれど、それにもまだ早い本当に静かなひとときでした。

私は地震の前に地響きを感じる事が多い。この辺りで揺れるといえば、殆どが震源地が東北か茨城。地響きを感じた時点で東北かな?と思いつつ、網戸がある側の窓を開けた頃、ぐらぐらと揺れ始めました。

地響きを感じてから揺れ始めるまで実際に時間を測ったことはないのですが、大体ガスを消したり窓を開けたりするくらいの余裕はある。揺れを待つくらいの時間があるので、それほど焦らずにじっとしていると、ぐらぐらと小さい揺れを感じた直後にガタッという音とともに揺れが大きくなりました。

たいていの場合は、ある程度揺れたら地響きのようなものは去り、共振のような振り回されつつも惰力でゆらゆら揺れている感覚があるのですが、その日はそれが全く治まらず、むしろどんどん揺れが大きくなってゆく。どこまで振られるんだ?と驚きながら、窓際のテレビ、リビングで唯一倒れる危険がありそうなテレビを押さえて踏ん張っていました。

揺れが大きくなる中、ぐっとこみ上げてくるものを感じ、こらえずに出そうと意識すると涙がボロボロとこぼれた。まったくパニック状態に陥らず、頭の中はものすごく冷静でクリーンな状態なのを感じ、リビングから廊下に通じるドアの前で目を真っ黒にしてふんばっているうにに「大丈夫だよ」とか「すごいね」とか普段と変わらぬ口調で話かけたのを覚えています。

大きな揺れが治まりつつある頃、停電しているのを確認。リビングから飛ぶように出て行ったオビを探しに普段使っているパソコン部屋を見てビックリ。足の踏み場がないというか、よくいう汚部屋状態?人形から本から全部床に散らかっていて。ありゃーと思いながらキャットタワー最上段で小さく丸くなっているオビを確認。「大丈夫だよ」と声をかけると、今まで聞いたことないくらい高く小さい声で「ニャ」と答えた。

パソコン部屋と廊下を挟んで逆側の部屋をチェックすると、小さいテレビやあまり使っていないプリンターが落下。天井に固定していた本棚が崩壊して本が散乱している状態で、あーあこれ片付けるのか…。と思いつつ、リビングに戻りました。

停電から復旧。テレビをつけて何が起こったのか確認しつつ、実家に電話をしたら繋がらない。その時点では震源やら震度やらはわかっても実態は全くつかめていないテレビ画面を見つつ、Facebookからいち早く連絡してくれた台湾の女の子や大阪に住む友達に無事を伝えていたら、電話のベルが。関西に住む親戚が、家電じゃ全く繋がらないからと、わざわざ公衆電話を探してかけてくれたとのこと。無事を伝えてから、再度実家に電話をすると今度は繋がり母と弟の無事を確認。

そういえば…と風呂場をチェック。案の定水浸しで、水浸しって言っても風呂だし〜と思いつつお手洗いに行くと、そこも水浸しでビックリ。

トイレは放っておけないのですぐに掃除。その後は当たり前のように続く余震を感じながらFacebookやtwitterで情報確認をしつつテレビで津波の映像を見て愕然とする。そうだ。あれだけの揺れなのだから、津波の危険は十分考えられたんだ。

何度も何度も余震はやってくるし、外はサイレンが鳴り止まないし。それでも空はのんびりと晴れていてうっすら夕日が出ている。なにも特別なことのない、ありふれた金曜日の午後だったのに…と無性に悲しい気持ちになったのを覚えています。時間が戻せればいいのにと心の底から思った。

生活には全く困らないし失ったものも何もないけど、色んなことが変わった気がします。被災された方々の気持ちは計り知れない。無理なくできる範囲で、長く続けていけることを…と思いつつ、結局お金を寄付するだけの自分の無力に虚しさを感じながら一年を過ごしてきました。でも一年って特別な区切りでもなんでもないんだよね。