2008/09/06

グーグーだって猫である

本日は映画グーグーだって猫である見ました。

初日先着100名にメイキングDVDプレゼントと知って、初回に張り切って見てきました。内容はかなり漫画と違うのですが、グーグー&サバ可愛かったー。冒頭でいきなりマーティ・フリードマンが出て来た時にゃ、映画館間違えたか?と思ったけど。ただマーティは、確かに大島弓子の漫画に出てくる死神のイメージあるわ。途中でそれに気づいて、妙に納得してしまった。あと人間のサバ役が、ここの所お気に入りの大後寿々花だったのは得した気分。ソフトバンクのCMで白戸父の後ろを追いかけながらテニスボール拾ってる女の子です。ハチミツとクローバーをドラマ化するなら、はぐみ役は成海璃子じゃなく大後寿々花だろーと思った。成海璃子も好きだけど、あまりにもイメージが違い過ぎで痛々しかったわ。初回しか見なかったけど。

話はそれましたが、映画は主人公の天才漫画家・麻子さん(=大島弓子)を中心に話が進んでゆくので、漫画の印象とはかなり違います。実際、大島弓子って同年代の漫画家たちと比べても、本当に実態がつかめないというか、人間関係が全く見えない。あまり人付き合いのなさそうな(と勝手に私が思っている)山岸涼子でも、たまに漫画家友達の話とか出てくるじゃないですか。大島弓子に関してはそれが全くなく。といって、突然オペラ歌手になってたベルサイユの薔薇の池田理代子や、新興宗教の教祖様になってると報じられたエースをねらえ!の山本鈴美香、精神世界研究団体(ってなんだかね?)を主催しているガラスの仮面の美内すずえのように、どっか別の世界に行ってしまったわけでもない。吉祥寺辺りで当たり前に猫たちと生活しながら仕事をしているのに、社会とのつながりをあまり感じなくて。ほんと、孤高の天才と表現されることに意義なし!と心のガッテンボタンを連打している今日この頃です。

私の中の大島弓子のイメージは、キューブリックの2001年宇宙の旅を見た大島さんが「私ならあの話を吉祥寺で描きます」と言ったというエピソードが総てかな。当たり前の生活の中、日々目にしている光景の中で、宇宙を超えたあらゆる物を描けてしまうのが大島弓子の最大の魅力のような気がします。宇宙だのなんだの、テーマは壮大でも作者本人が俗っぽけりゃそれなりの話にしかならないしねぇ。まあそれが面白いってこともあるんだけど。

それでこの映画ですが、私は漫画を読んでいるのでそれなりに楽しめましたが、読んでない人からしたら、なんじゃこりゃ?って内容だったんじゃないかと。正直、非常に残念な感じです。多分、犬童監督が大島弓子のことを好き過ぎるんだと思う。その心情は麻子先生のアシスタント役、上野樹里を通してものすごく伝わってきます。上野樹里が麻子先生の作品を初めて読んだ時の、感動とかって言葉じゃ言い表せない気持というのもよくわかる。

ただこの映画、キャスティングは上手かったと思います。小泉今日子演じる麻子先生は、漫画で見る大島弓子のイメージと全然合わないんだけど、逆にその方がいいような気もするし、森三中の存在も良かった。漫画の中の大島弓子は、どちらかというと小泉今日子より小林聡美に近いような気が…。いやもっと近い人絶対にいるんだけど、ピンとくる人が浮かばない。

大島弓子と同じく"花の24年組"と言われる漫画家の中で、やっぱり孤高のイメージのある人は萩尾望都。でもこちらは竹宮惠子と共同生活をしていたとか、周囲とのつながりがちょっと見える。今は飯能に住んでいるらしいけど。萩尾望都の発想力とか想像力の大きさは、そんじょそこらのSF小説家の比じゃないと思います。11人いる!初めて読んだ時は、顎が落ちるくらいビックリしました。常人の想像力を遥かに突き抜けている、突拍子も無い設定とストーリー。それが総て中途半端でなく、完璧に描けてしまうのはやっぱ天才なんだと思う。

大島弓子の作品の多くがドラマや映画化される一方、萩尾望都の作品は舞台化されるのが多いみたい。宝塚もやってたし。実写の映画は1999年の夏休み(トーマの心臓)くらいしか印象にないかも。あ、イグアナの娘がドラマ化されてましたね。菅野美穂は未だにイグアナの娘とか言われるみたいだけど、あのドラマの印象が強いのかな。

グーグーだって猫であるに出ていた猫ズのブログ、ちびグーグーだって猫である、面白いっす。可愛いねーちびグーグー。

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